部活

 部活はずっと嫌いだった。そもそも運動神経が良くなかった。なのにバスケ部に入った。他のスポーツは経験したことがない。バスケットボールを選んだ理由は単純で、姉がバスケ部だったからというものだ。なんとなく男は運動部に入らなければいけないと思っていた。中学では、吹奏楽部に男がいて、しかも中学生の時点で既にしっかりした髭とすね毛の生えた面白い奴で、びっくりしたのを覚えている。

 

 毎日毎日死ぬほど走った。小学校では片手の指5本全て突き指した。我ながら鈍臭い。先輩とパス練習、しかも遊びでやってる時にやらかした。ずっと流水で冷やしながら、本当に痛くてたまらなかったのを覚えている。

 

 中学校、ここが1番地獄だったかもしれない。朝練があった。これは意外と嫌いじゃなくて、その理由は単純に走るだけだったからだ。球技でチームプレイとなると、パスを回してスクリーンに行って、リバウンドのサポートをして、などとごちゃごちゃ考えなければいけない。朝練では、陸上部の走りとも違うただ体力をつけるためだけに走る練習がメインだった。ただ走るのは、なんとなく気持ち良くもあった。だから、その日一日汗ベトベトの体で過ごすハメにはなるけれど、頭を空にして走る時間は嫌いじゃなかった。

 県内でも上位の高校でバスケをやっている先輩がよく練習指導に来た。怪我をしてしまって本格的な高校の練習には入れないらしい。本当に大嫌いだった。

 先輩のご指導のもと、まず普通のランニングがペットボトル2本を持って走る地獄に変更された。1発目からこれである。さらに基礎練のフットワークも改訂された。フットワークは基本地味だ。地味な上にキツい自重系が増えた。腕も足も、基礎練が終わる頃にはヘロヘロになっていた。

 最も地獄だったのはサーキットだ。これは体育館半周、腕立て10回、また半周、腹筋、半周、背筋…と、ランと筋トレを永遠に繰り返す練習だった。大体10分3セット。最後の方は死ぬかと思う。水とよだれと胃液が混じって、自分が今何をやっているのか分からなくなる。最下位3人は追加で何周か走らされた。

 今思えば先輩は寂しかったのかもしれない。怪我のせいで、自分自身は練習も、ましてやプレーなんかできない。部活ができなくて勉強も大変じゃないなら、片田舎でやれることなんてバイトぐらいしかないけれど、それも一応禁止されている。ずっとバスケをしてきた先輩は手持ち無沙汰だったのかもしれない。

 それでもやっぱり、あの先輩は嫌いだ。いじめっ子がいた。気が強かった。他校にたくさん友達がいて、同じクラスになった3年では学校にほとんど来なかった。Hとする。自分はHと仲が悪いわけではなくて、かといって仲良しなわけでもなく、普通に喋っていて楽しかったのは覚えている。大体いじめっ子というのは可愛いがられるものだ。多少茶目っ気があって、甘えてくる奴の方が自分だって可愛いと思う。Hは頭も悪くなかった。案の定、Hは先輩から、お気に入りの1人として扱われていた。

 当時の自分は正義感に溢れていて、Hが気の弱い奴をいじめて問題になった時も、受験期に不登校になった時も本当に嫌だった。今は結婚して子供も生まれているらしい。金を稼いで父親をやっているのは本当にすごいと思う。

 自分みたいな、言っちゃあなんだが、真面目に練習には行くし怒られたら直そうとするし、そういう普通の人間は、先輩のお気に入りセンサーにはかすりもしなかった。上手くない、というのが1番の原因だっただろうけど、上手くないなりにカバーしてる部員だっていた。自分を見てくれない先輩に、勝手にメニューを変更されて、とにかく部活はいっそう嫌なものになった。厳しくされたらその分だけ嫌いになった。

 土日は全部練習試合で潰れた。2年に上がると新しい先生がやってきた。自分自身もバスケが好きで、先生同士のツテも持っている女の先生だった。彼女は土日のほとんどを練習試合に費やした。試合ということは、その日1日が潰れることを意味する。3、4校は大体集まる。下手に先生たちが繋がっている分、それだけの練習試合を組めてしまうのだ。彼女はメインの指導者のポジションを受け持った。指導者が、怒鳴りっぱなしのコーチから彼女へ変わったのは嬉しかったが、土日のどっちも時間がつぶれてしまうのは痛かった。

 でも、彼女のことは好きだった。先生は基本的に大人として自分たちを扱ってくれた。一度、本気で上手くなりたいわけじゃないなら楽しい練習にしてもいいぞ、と言ってきたことがある。あれは、よくある「帰れと怒鳴り散らすくせに本当に帰ったらなんで帰るとキレる」パターンの怒り方じゃなかった。本当にこちらに決定権を与えてくれた。あの時、上手くなる練習がしたい、に賛成する手の数の方が少なかったら、どうなっていたんだろうと思う。

 自分は塾に通っていた。たまたま成績も悪くなかった。周りのバスケ部員でそういうやつはいなくて、机に向かってガリガリやる勉強はみんなしていなかった。一方で、自分は塾では大量に宿題が出るし、土日には取り掛かっておかないと間に合わなかった。今思えばよく勉強していた。大学受験より高校受験の方が勉強したんじゃないか。多分、自分はこいつらとは違うと、成績の良さでプライドを保っていたこともあったかもしれない。

 

 高校では1年も経たずに部活を辞めた。初めて何かを辞めた経験だった。みんな自分より頭はいいし、バスケができて、性格も良かった。先輩も、練習中は怖かったけれど、優しくて面白かった。じゃあ何故辞めたか、というと、多分何も勝てるものがなくて楽しくなかった。結局中学まで部活を続けていられたのはそういう部分だったと思う。1番下にはいたくなくて、それは技術の部分ももちろんだけど、人となりや成績の良さとかもあった。高校の部活の同級生たちは自分からしたら「ちゃんとしすぎ」だった。

 本当にいやらしい感情だ。下が欲しかったけど、いなかった、だから辞めた。顧問に、勉強を頑張るので、と適当な辞める理由を伝えた時、お前それは分かってただろう、と言われた。それでも辞めると言ったら、必ず後悔するぞ、と言われた。今でも覚えている。あれは呪いの言葉だ。

 

 辞めた後、一時期部員と会うのが怖くて帰る時間をずらしていた。校内で勉強して、頃合いを測って駐輪場へ向かった。それでも彼らと会ってしまった時、普通に挨拶されたことがある。この時、自分は完全に、完璧に負けたと思った。

 練習は1人でも人数が少なくなったら負担が増えるのに、勝手に辞めたのに、それでも普通に声をかけてくれる。それに対して自分はとにかく顔を見ることさえ怖くて、合同の授業も受けたくないのに、帰る時間だってずらしているほどなのに、そんな根暗な奴にも対等に接してくれる。本当に負けたと思った。

 

 負けた記憶ばかり残っている。勝った、勇猛な自分を探してあげたい。負けた自分を供養して、解放してあげたい。それともこんな甘いことばかり考えているからいつまでも成長しないのだろうか。暗い自分をやめたい。暗いナルシストにはなりたくない。