2021/06/19

 要約するとプリプリのダイヤモンドみたいな人生を送りたい。もっと要約すると動きの読めない小蝿のように生きたい。人をイライラさせながら思い通りにならない生き方をしたい。逆張りして生きたい。逆張りし続けてそれが固着してしまった生き方をしたい。

 コーヒー飲んでもお酒入れても唐揚げ食べてもお腹が痛くなる。最近始まった。胃もたれするには若すぎるけど起こっちゃったら止めようがない。三鷹で降りてクールな顔してトイレに入った。個室に入った途端死に物狂いでベルトを外して冷や汗かきながらズボンを脱いだ。座ったら引っ込んで自分の体のことなのに何も分からない。三鷹の駅のトイレは結構綺麗だけどゴミはどの部屋にも捨ててあった。臭いはしないのに目に入る情報は汚いトイレだった。

 

 休日に外で雨が降ってる音を聞きながらベッドの中にいるのが好きだと言ったら何それと笑われた。だけどこれは結構みんな感じてることじゃないのかと思う。シトシトくらいがベストだけどザーザー土砂降りも悪くない。無音に長時間置かれると人は気が狂うと聞いたことがあるけどそうだろうなと思う。

 大学の変人教授が、いかにも変人教授が好きそうなジョン・ケージ4分33秒を聴かせてくれたことがある。ケージがやった時はセンセーショナルだったに違いないけど、それを大学教授が褒めてるシーンは何だか違った。かっこよくなかった。とにかく世俗的なものが嫌いな人だった。ああいう逆張り野郎は好きじゃないけど、逆張りで成功したタイプのむしろ「圧倒的」「世俗的」「社会派」知識人だと思う。あのタイプの人の話を聞いていると、高校の英語の授業でバタフライエフェクトを知らなかった惨めな私を思い出して悔しくなる。

 

 日本国民総オタク化が進んでいる。好きなものに何より情熱を持っていてその理由を語るにふさわしい語彙を持ち仲間とその熱い情熱の対象にかける想いを言葉にできないと言葉にし続ける人たちが増えている。その理由が個性的であればあるほど「なるほど!そんな考察があったのか!」とオタクから尊敬を集めまた新規のオタクを増やしていく。

 人が好きになるものもそれを好きになる理由も人の勝手で、それを他の人に披露するのも勝手だけど「好きな理由偏重社会」は嫌いだ。うるさい。理由がなくても好きでいたい。人に説明するほど頭使ってないままただそれが好きでも許されたい。「ただそれが好きでもいい社会」運動を始めたい。全部言葉にして解説されて分かったフリをしてしまいたくない。分からないものを分からないままでいることを許されたい。

 

 小気味よくなるために正論を使わないで欲しい。自分が気持ち良くなるためのオナニープレイは見たくない。石を投げるなら自分の過去を振り返ってから投げて欲しい。過去も思い出せないくらいの馬鹿なら石を投げる資格もないと思う。過去を捏造するタイプなら手錠にかけられてしまえと思う。正論は振りかざさざるを得ない時にしょうがなく下されるギロチンであって欲しい。そんなどうでもいいことのために毎回刃を研いでいたら消耗する。

 怒りを忘れないで欲しい。縮こまっていたら何も変わらない。ふざけてやり過ごしてばっかりでは相手に舐められるだけだ。怒りを生み出す元凶を見据えて殴りかかるべきだ。何が正しいのか、何が今私を怒らせているのか、どうすればその怒りを解消できるのかを考えた上での行動は必要だ。なだめて別の方に誘導しようとする輩にはぶん殴って自分の罪を直視させたい。目を見てお前が悪いんだぞ!と言いたい。