2021/05/28

 もうこの世から消えてやる!と思いながら飯食ってる時が一番情けない。鼻水は口の中に入るしティッシュは顔に張り付いて汚い。どんなときより顔はブサイクで見られたもんじゃないのに、うちの部屋にはテーブルの目の前に鏡がある。必死に生きようとしてる体が栄養を欲してお腹をすかせ、この劇的なロマンチシズムをぶち壊してしまう。

 

 泣く時って極端で、泣くほど感情が動いていることに浸りたくてもっと泣きたい!か、死んでもコイツに泣かされるなんてごめんだ絶対泣くもんか、で我慢できずに泣く2つのパターンがある。

 どうでもいい人からは何言われても別に平気だけど、自分にとって大事な人からの言葉にはきちんと感情が動く。だからこそその人の言葉で嬉しくもなれるんだけど、そりゃあ、その反対で、悲しくもなる。下手に好きで信頼してる相手だからこそ、勝手に欲しい言葉をくれると期待してしまう自分もいるから、実際に相手が言ったことと受け取った私の心の落差も大きくて、思いの外ガツンと傷ついたりする。

 私は結構、いくらどうでもいい人からであっても、言われたことについてクヨクヨ悩んでしまうタイプだけど、逆に私の言葉で喜んだり悲しんだり傷ついたりしてくれる人はそんなにいないと思う。

 自虐でもない。そもそも他人の言葉に真摯に耳を傾けるということ自体難しいんだと思う。そんなに人の話聞いていないし、聞く気もない。それでも自分の話は人に聞いて欲しい。私は誰よりもその感覚は強くて、ほとんどの人の話はどうでもいいのに、そのどうでもいいと思っている人に対してさえ自分の話を聞いて欲しいと思う傲慢さが、確実にある。

 だから、私の言葉で私じゃない全ての人の気持ちを揺り動かしたい。どれだけの人に影響を与えたかで人の価値は決まるものでもないし、そういう華やかな「有名になる」ということが、どんなに幸せそうに見えても、結局人は孤独に死ぬから、自分ではない誰かにどれだけ大切にされようと幸福とは関係ないかもしれない。だけどやっぱり、多くの人の心を動かしたことがあるような、世に名を残すような人間になりたいという夢は諦めきれなくて、もう22になるのに、未だに「立派」な人間になりたいと思う。22って、すでに名を残している人がたくさん出ている世代で、それだけ自分が「負けている」ことが明らかになってしまう年で、こんなに負けず嫌いな自分と努力できずにいる自分が普通に両立していることがおかしい。ダブルスタンダードなんてむしろ人間の当たり前の習性なのかもしれない。

 

 好きな人から嫌われることが何よりも苦しい。人の気持ちを変えられたことなんてほとんど無い。特に悪い方向から良い方向に向かわせられた経験が無い。どうすればいいのか分からない。一度悪い方向に向かったらもう何をしても悪くなる一方でしかなかった。今のところそれが私の中での短いなりの人生の経験則なんだけど、これがもし良い方向に向かうんだったら、泣きながら不味い米を掻き込んだ意味があったと思う。

 

 明日は土曜日で、喫茶店行くかスシロー行くか映画観るかで迷える最上級の時間がやってくる。もちろん何の役にも立たないゲーム実況とスキンケアのYouTubeをずっと見ててもいいし、外に出かけて惣菜とケーキを買い込んで、家に帰って10分でそれを全部平らげてしまってもいい。最近よく買ってる棒アイス、あの、中に入っている液体を凍らせて、細くなってる真ん中をパキッと折って食べるやつ、を、一袋88円だからという理由で一気に全部ドカ食いしたっていい。全部私がやりたいことをやっていい。

 一人の生活は本当に気が楽で好きなようにやれて幸せだけど、少しくらい、何かあの、他人とずっと一緒にいる時に感じる、ちょっとした生活のルールの違いとか、そういう自らを縛るもので煩わしさを感じたくなる。心の底から泣く時と変わらないくらい、そういう時間は自我を感じる瞬間の1つで、私はもうずっとそれを経験してなくて、泣けるようなドラマはなくていいから、寂しさを解消できる日常の些細なすれ違いが欲しい。