2021/06/26

 ゆで卵の殻が綺麗に剥けた。それだけで嬉しい。塩をふって食べた。美味しかった。

 茹でた後に殻を剥くと言う作業の面倒臭さも手伝って、いつもはスクランブルエッグか目玉焼きしか作らない。味付けにも醤油ばかり使っている。ゆで卵は食べると一瞬なのに、結構手間がかかるのだということを家を出てから知った。

 卵を茹でた後のお湯でインスタントラーメンを作った。水をもう一回沸かし直すのが面倒なのだ。濃い味で作られているはずのスープでさえ生臭さが移っていることがはっきり分かった。卵を茹でた煮汁で料理してはいけないことが新たに分かった。またひとつ賢くなった。

 

 携帯をずっと眺めているから目が疲れる。一瞬目を離したと思ったらすぐに手に取っている。まさに中毒だ。

 Google Homeを買ったはいいけど、いざTVで YouTubeでも見ようとすると、リモコンでスイッチを押さなければいけない一手間がかかることに気づいてしまった。これが結構面倒くさい。携帯ならタッチするだけで電源がつく。おまけにいつも手にしているから探す手間もない。ということで思ったよりGoogle Homeを使っていない。生きるって難しい。相変わらず目の疲れは取れないままだ。

 

 エアコンのちょうどいい気温を永遠に設定できない。最初は21度で良くて、5分経ったら突然寒くなる。22、23、24度と一度ずつ上げていって、それでも寒い。そこで25度にした途端に一瞬で暑くなる。下げたら寒い、上げたら暑いを繰り返して面倒になって冷房を切ったら暑くて嫌になる。だから夏は嫌いだ。

 

 奥さんに作ってもらう弁当と、母親に作ってもらう弁当の何が違うのかと思う。人に作ってもらってるのは同じなんだから、どっちがダサいとかダサくないとか、ないと思う。そういうのは思っててもいいけど口に出さないで欲しい。なんでそう簡単に自分の方が立派だと思えるのか。お前が何もやってないのは同じだろうが、と思うだけで何も言わない。

 

 夕方4時くらいまで家にこもってると、携帯の見過ぎで目は痛いし、なんとなくもったいない気がして外に出たくなる。無駄にギラギラした服を着て業務スーパーに行ってもやしだけ買って帰ったりする。それか、大体中央線沿いのどっか吉祥寺とか阿佐ヶ谷あたりで適当に降りるんだけど、そっからいつもルーティンだ。服、惣菜、甘いもの、本、あたりをいつもの店でチョロチョロ見て回って、なんか寂しくなったら友達と会うとか、そのくらいで終わる。「いつメン」がいる人って羨ましいなとこういう時思う。

 これから結婚する人も出てくるだろうし、多分会ってくれる人はどんどん減っていく。変えたくないルーティンも変わっていってしまうこと、それが自明なのが悲しい。

 

 ことさらに、普通の自分であることを卑下する必要はない。はずだと思いたい。普通の人が普通に生きてて誰にも思い出されない日常を積み重ねていくことが我慢できないならそれは知らない。自分が死んだ後は世界は終わるんだから、なんにも気にしないでいたい。