2020/11/26

 ポケモンのいる世界に生まれたかった。夜寝る前に、どんなポケモンを連れて、どのポケモンにどんな技を覚えてもらうかずっと考えていた。いつも想像するイメージがあって、空を軽やかに飛ぶポケモン、地を素早く駆けるポケモン、胸に抱いていつも一緒にいるポケモンがいた。それは見たアニメや映画で変わったりして、パーティから外してしまったポケモンに少し申し訳なく思った。

 クリスマスに、ポケモンと一緒に冒険できる世界へ連れていってとお願いした。朝起きた。何も変わっていなかった。ポケモンは現実にはいないんだと分かった年から、ゲームをお願いした。翌朝枕元には、私のためを思って違うものを送りますと書き添えられた手紙と、黒い時計が置いてあった。サンタクロースはお願いした物を必ず用意してくれるわけではなかった。

 1日30分まで、の決まりを破ってよくゲーム機を隠された。怒り狂って泣いた。自分の部屋に戻って悪態を吐き物に当たった。何日間か我慢して、自分の手にゲーム機が戻ったあの幸せは言葉で言い表すことができない。それほど好きだった。炎や電気や水で鮮やかに攻撃する、強くかっこいいポケモンたちが大好きだった。

 

 車の中でもゲームをしていた。車に私を乗せているとき、母はゲームの時間をカウントし忘れることがあった。車の中で初めてチャンピオンロードを踏破した。四天王との戦いより感動した。なにしろチャンピオンロードを出た頃にはラグラージがレベル100にまでなっていたのだ。私にとって、チャンピオンロードを抜けるのはエベレスト山頂に辿り着く以上に価値あるものだった。

 車中での大きな感動と引き換えに、私は方向音痴になった。方向感覚がゼロなのは、車で外を見ていなかったことも多分にあるんじゃないか。祖母の家までの道をいまだに覚えられない。姉と母によく馬鹿にされる。姉も私も同じように車でどこそこへ連れていってもらって、私だけ全く道を覚えていない。

 細い道を左に入って踏切を渡り、神社に続く階段に突き当たって右に曲がる。ちょっと行ったらまた左折して心臓殺しの坂を登る。細い細い道を切り返しながら曲がった先が祖母の家だ。私が覚えている祖母の家への道はその5分間でしかなくて、それまでの道は消えている。全運転時間1時間中5分程度の地図しか頭に入っていない。道路など全て同じように見える。どれも風景は風景でしかなくて、車から見える外の世界は全く現実のものではなかった。絵画か写真のようなものであった。

 

 音楽だけは覚えている。母はスピッツをよくかけていて、私と姉はCDに合わせて一緒に歌った。姉は歌詞をあっという間に覚えてしまうのに対し、私はよく間違えた。笑われた。ちっとも嫌ではなくて、むしろもっと笑って欲しくて、今度は癖のある歌い方を真似しておどけて見せた。

 宇多田ヒカルも母の車で初めて知った。椎名林檎も母の車で出会った。コブクロ平井堅もよくかかっていた。なぜかどんな曲だったかは覚えていない。スピッツのチェリーしか覚えている曲がない。とてもおしゃれな記憶で、私は今でもこの記憶を気に入っている。

 当時から小賢しかった私は、ウォークマンを手に入れた頃ぐらいから、好きな歌手がスピッツであることを、何か自分を武装するもののように思っていた。周りの奴らがヒルクライムの春夏秋冬にうつつを抜かし、KAT-TUNの上田君に黄色い声援を送る中、自分だけが「本物」を知っていると感じていた。

 

 子供は大人と違うけど、純粋だとか単純だとか、そういうものでもないと思う。自分は小学生で既に好きなもので自分を表現しようとしていたし、好きじゃないものもかっこいいから無理やり好きであろうとした。女性ボーカルばかり聞いていたら変だからゆずをプレイリストに入れたり、不思議なキャラクターになりたくて、ギブスをあえて親の前で聞いてみたりした。私の中で私は変わったけれど、やっぱり変わっていないことの方が多い。

 

 今でも、地図を見ずに格好良く友達に街を案内したいという夢がある。上京してからは道を覚える努力をした。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、方向感覚は身に付かず、相変わらずよく迷った。

 Googleマップがなければ知らない街にも行けない。いまだに新宿の駅さえうまく使えない。東口と西口の直通道路が開通された時、迷ってわざわざ地上に出た。モザイクロードを通って南口を経由し、やっと東口の交番前に辿り着いた。おかげでたっぷり汗をかかされた。

 私は東京に来てそろそろ4年になるけれど、自分の街を持っていない。誰も私を知らず、それはとても心地良いけれど、自分の居場所も見つけられていない。心地良いだけだと心には残らないから、好きな街はあっても、離れられない、忘れられない街がない。そういう距離感を求めて都市に来たのに、ないものをねだりたくなる。