2021/07/10

 ニューヨーク旅行に行った。星野源のライブを見に行った。星野源のライブには一度行ったことがあって、直視できないくらい輝いていて、ずっと見ちゃいけないものを見てるみたいな感覚だった。エロビデオを覗くエキサイティングなドキドキとも違って、落ち込んでるんだけど心臓がバクバクしてる感じだった。嫉妬だったと思う。今でもこの感覚は消えてない。

 星野源に嫉妬する、というとすぐルックスを持ち出す人がいるけどそうじゃない。というか見た目でそんなに差がない、と仮定したところで、ここまで人望に差が出るって考えたらそっちの方が辛い。究極的に中身がダメだってことを、暗に、でもはっきり示されてるのと同じではないですか。言い訳が何も無くなってしまう。

 なんかすごく正しい感じがするから見ていて辛いのだ。星野源のファンもみんな正しい感じがする。正しいことを歌詞にして、正しく楽しくなったり悲しくなったり怒ったりしてる感じがする。しかもとてもかっこいいやり方だから、自分の居場所がますますなくなる。

 友達は横で、心の底から嬉しい気持ちを表現していた。隣から聞こえてくる拍手も歓声も、本物の感動を五感でフルに伝えていた。自分だけ沈んでいた。全然ノれなかった。チケットを取るのも大変な人気歌手のライブでこんなことをやるのは犯罪行為だし、もしスピッツ宇多田ヒカルのライブで隣の客がこんなのだったら邪魔でしょうがないと思う。でも耐えられないくらいキラキラしすぎていた。じゃあ行くなよという話だけど、彼の歌はやっぱり何度聞いても好きなのだ。

 

 ニューヨークでの会場はソニーホールというライブハウスで、星野源を見にニューヨークまで来てしまう日本人ファンが結構いた。外国で、好きな歌手という共通点があって、同じ言葉を話す人たちと会えるとやっぱり嬉しくて、何となくみんなで集まって話したりした。海外の人もいて、中でも中国人の女の子2人組が、日本語で彼に応援メッセージを書いてきたの!と見せてくれてとても可愛かった。ネットで、同じ中国人のファンに色紙に書く言葉を募ったらしい。

 その中の1人と、夜ご飯を一緒に食べた。みんないい席で源さんを見たいから、ライブがある日は朝から並んでたんだけど、流石にニューヨークに来てまで1日ライブに潰すのは自分は嫌だった。たまたま前に並んでたお姉さんに、かわりばんこで並ばないかと提案してもらった。喜んで提案に乗った。並んでるうちに必ず喋るし、なんだかんだライブ終わりに写真も撮ったりして仲良くなった。お姉さんは1人だったから、3人でご飯を食べに行くことにした。

 夜11時に開いてる店はそんなになかった。TGIFriday'sで適当なハンバーガーとビールを注文した。旅慣れたお姉さんは「ニューヨークに来てまでこの店でご飯食べたって言わない方がいいよ、バカにされるから」と教えてくれた。そのうち自然と就活の話になった。もう11月になるというのに志望先も決めてなくて、やりたいことといえば自分が普段触れてるものに関わりたい、それくらいの気持ちでいることを話した。お姉さんはすごく立派な仕事をしていて、今でもいろんなことに挑戦してて、何より自分がまさにやりたいと思っていることをしていた。その上で、至極真っ当なアドバイスをされた。要約するともっと具体的に動いたほうがいいってことだったと思う。聞くのが嫌でたまらなくて、耳を塞いでいたからはっきりとは覚えていない。

 外国でライブを見てその場で会った人と夜ご飯を一緒に食べる、とても楽しいことをしてるはずなのにずっと辛かった。誰も悪くなくて自分が勝手に劣等感を感じてただけだから、自分以外誰も責められなかった。勝手に不機嫌になった。ホテルに戻る道中で、あんまり楽しんでなかったねと友達に言われて最悪だった。子供みたいな態度を子供みたいに外に出していたんだと思う。

 

 それ以外は楽しかった。夜中買った大きなピザをホテルのベッドで寝そべって食べた。ペパロニとマッシュルーム。映画に出てきたブライアントパークを歩いた。11月だったから、クリスマスオーナメントを売っている店がたくさんあった。ホールフーズやトレーダージョーズでお土産をたくさん買った。SOHOで食べた小さなチーズケーキは、おじさんが安くなってるやつを教えてくれた。byredoの店員は偉そうだったし早口で何言ってるのか分からなかった。本当はkriglerの香水も見るだけ見たかったけど、プラザホテルに入るだけでさえ怖気付いてダメだった。最終日はサンクスギビングデイだったから、道がとても混んでいて、スーツケースを押しながら進むのに苦労した。テレビで見た中継の映像通り、キャラクターの大きなバルーンが練り歩いていた。帰りのペンステーションでチケットの買い方がよく分からなくて焦った。

 エンパイアステートに登って摩天楼を上から見下ろした。それが1番映える思い出でとても楽しかったけど、どうでもいいようなこまごまとした出来事の方が心に残っている気がする。

 

 なんで全部ひねくれた見方をしてしまうんだろう。かっこいいと思うもの、好きだと感じるものをそのまま素直にかっこいい、好きだと言えたらいいのにと思う。ニューヨークが好きだと言えるようになったのもつい最近だ。素直さを取り戻すことはできない。