2021/11/14

 映画を見ているときに、感想を書くために映画を見ていると自覚することがあって落ち込む。映画を見るときには映画を楽しむために映画そのものに集中していたい。映画を見ている途中でフィルマークスを開いて感想を書き込んでいる。バカっぽいなと思う。

 何もかも全てのことを忘れたくない。映画も同じで、見た映画のことは全て記憶したい。でも実際には、2時間も費やして登場人物の名前さえすぐ出てこないなんてことがよくある。細かいストーリーも覚えていられない。なんとなく雰囲気で見ている。結局あらすじをもう一度確認したくてWikipediaのページに飛んで、答え合わせをしてそうだったよねと安心したりしている。だから見ている途中でわざわざ一時停止をしてフィルマークスにメモしている。

 

 基本的に自分の頭で考えることは嫌いだ。理由は疲れるからだ。疲れることは極力したくない。

 私はミーハーだから、世の中の王道であったり人のおすすめであったり、そういうものに興味を惹かれることが多い。だから大抵のものには、偉い人やら専門家やら芸能人やらのご立派な解説と感想が先に出ていて、それは十二分に労力と才能を持ち寄って形成されている。つまり私は映画を雰囲気で見終わった後に、彼らの素晴らしくまとまった感想を読んでなんとなく理解した気になることができる。YouTubeのまとめ動画を見て映画を見た気になる人と何が違うのか。

 

 映画だけじゃなくて、文学や音楽とかの、もうすでに確立されていて人気があり、権威を持つジャンルたちは基本スタンスが偉そうだから、私のこういう軽薄な行為は嫌われるんだろうなと思う。私のキャパシティでは名作を1日に2本も3本も観る体力はない。そもそも作品の巨大さに比例して一本を繰り返し繰り返し観る必要が出てくる。でも今の私にそこまでの集中力もなく、かといって周りを気にせずに自分だけの解釈を楽しめるほど文化そのものに興味があるわけではない。

 

 今少女革命ウテナを見ている。幾原邦彦監督がここまで高く評価されていなかったら私はこんなにこの作品に執着しない。自分の好きな人たちがこの作品を評価していなかったらこんな真面目に見ようとしない。不思議な言葉がたくさん出てくるのを、いかにもファンタジーだと馬鹿にしてるかもしれない。どちらも自分自身ではあるけど、どちらが本当の私なのか決められない。作品そのものに対して持つ感触を、素直にそのまま言葉にできるような、そういう力が欲しい。