通学路

 小学生の頃、徒歩通学だった。田舎だし、子供の足では30分かかった。夏の汗は嫌いだったけど、道中はとんでもなく楽しかった。家から出ると竹の林が真っ先に見える。春には美味しい筍を食べることができたのだけど、田舎の自然はそんな甘っちょろいもんじゃない。猿や猪が出た。一度祖母が猿と戦ったこともある。百足を素手で倒すだけあって、祖母は猿にも怯まなかった。車の上で慌てる猿に、堂々と棒を振り回して対抗した。見事猿は山へ帰っていった。両親や祖父母はあの頃まだ神様だった。

 

 林の次は用水路だ。用水路というより、ちょっとした小川みたいだった。結構な高さがあって、一度降りたら登れなくなり泣いた。太々しいでぶっちょドンコ、ちょこまかと泳ぎ回る小エビ、どこか不器用そうに歩くカニ。たくさんの生き物がいた。6月には蛍も出た。両手で籠を作って、中に捕まえた蛍を入れた。指の隙間からほのりと光が漏れた。手を離して逃して家に帰った。コンクリートの道路に、足でドン、と振動を与えると、水中の命が一斉に動き出した。水面にポツンポツンと波紋が広がり、繋がって、何よりも面白かった。朝っぱらから起こされて、魚たちも迷惑だっただろう。

 

 さらに橋を渡る。そんなに大きくはない。下の川に鯉がいた。上から小石を投げて、餌と勘違いした阿呆が口をパクつかせる様子をよく眺めていた。錦鯉が出た日はラッキーデイで、ニュース番組の朝の占いなど比にならない程の幸運が確約された。亀の時なんてもっとラッキーだった。ゆっくりゆっくり、進む姿はとにかく可愛かった。たまに顔を上げて、呼吸する。愛らしい彼らには石なんて投げる気持ちに到底ならなくて、一緒にゆっくりゆっくり、橋を渡った。

 

 それからは、葉の上で朝露が宝石みたいに輝く蓮根の養殖池、キラキラの粒ガラスが散っているゴミ処理工場、6年生がお釣りを盗んだ自動販売機、と続き、ずっと桜だと勘違いしていた梅の木が、早い春を知らせる小学校の前に着く。

 

 初めての下校の日、梅の木の下の、綺麗な水が流れる細い水路で、白い蛇を見た。緑藻に映える白い艶やかな皮が光を反射する。木漏れ日の中を泳ぐ蛇が、とても艶かしかった。その日は厳しい女のベテラン先生が登校指導をしていた。彼女の掠れた声と蛇の姿がすごくちぐはぐだった。あまりにも幻想的な記憶で、事実を確認するためだけにも同級生に会わなければいけないと思う。

 

 もう一つ確かめたい記憶がある。下校時、いつもの橋で、姉が何十メートルか先を歩いていた。多分自分は1人で、姉も1人だった。2人で一緒に帰っていたのかもしれないし、自分が追いつこうとしていたのかもしれない。

 私を男が追い越していった。そいつは中肉中背、今考えれば普通の男である。とてつもない恐怖を感じた。もしかしたら歩き方が変だったかもしれない。あの辺りは、使い古したタンクトップにパンツを履いただけの裸同然のジジイが、登校時に元気よく挨拶に出ていた地域だけど、そんなに治安が悪い場所ではなかった。何がそんなに怖かったのか分からないが、小学生の私は、そいつが絶対に姉を連れ去ってしまうと感じた。

 「逃げて!」と叫んだ。精一杯の声だった。ドッジボールでは球を受けたことも投げたこともなく、キックベースの時は可愛がってくれる上級生の所へ逃げて、サッカーなんて野蛮なスポーツは一度もしたことがない、図書館に昼休みの全てを費やす自分の必死の声だった。

 

 なぜかそこからの記憶は無い。今、姉が何事もなく大人になって、私よりよほど立派に働いている姿を見ると、多分あいつは不審者でも何でもない、私と変わらない普通の大人だったんだろう。なんともあっけない結末だ。振り返ったはずの姉の顔も、その後交わしたはずの言葉も、驚いたはずのあいつの反応も、何も覚えていない。ひ弱すぎた私の声では届かなかった可能性だって大いにある。それでもどうにも、私が記憶を作り替えたとは思えない。本当にあったことだと思う。

 

 姉は心配性な子供だった。楽観的な私とは対照的だ。「橋が落ちちゃうと思うと怖くなって、走って渡っちゃうの」と言っていた。50メートル走でもマラソンでも、6年間1位の座を守ってきた姉のスピードで間に合わないのなら、もし本当に橋が落ちていたら僕の方が絶対先に死んでいたはずだ。